お客さまは王様です
朝は酷い目に遭った。
フィーはあの後、眠ってしまったロイの腕をなんとか逃れると、毛布だけちゃんとかけて床に放置しておいた。
結局、「ごめん、お酒とジュース間違ってお兄ちゃんに味見させちゃったみたい」、と言ったシライの誠意溢れる申し訳無さそうな顔に怒りのぶつけようもなく、直後に渡されたパンプキンケーキの美味しさもあいまってフィーはロイの酔いようを忘れることにした。
「・・・シライ、他に切るものはー?」
かぼちゃの中身をくりぬいてランタンを作る作業はフィーのまさしく得意とするところであり、嬉々としてやっていたが、終わってしまった。フィーの前には大小さまざまな、やけに表情豊かなランタンが山と詰まれていた。夜にはこれに蝋燭を入れて工房を飾って大騒ぎだ。
「うわあ、相変わらず凝ってるね・・・。うん、切るものはもうないみたい、ありがとう!フィーは細工の準備でもしてて。あとはキャリーとビスクさんに手伝ってもらうから」
売り子の二人、朝早くからシライを手伝ってくれていたビスクさんと久々に会ったキャリーがひらひら手をふってウィンクをした。
「後は任せて」
「頑張ってねー」
「はいよ」
・・・料理は苦手なフィーは大人しく従うほかない。
パンプキンパイをホールで2つほど食べた彼女は満腹で少し眠くなりつつも工房へと足を向けた。もう日も出ているし、今頃は職人達も集ってきているころだろう。
フィー達の工房のコンセプトは鍋から指輪まで。基本はジュエリーを扱うとは言っても金属加工と細工においては他に負けないと思っている。よって、高い細工ばかりでなくリーズナブルな、少し頑張れば誰でも手に入れられるような細工も作る。もちろんそういったものになると見習いの練習作が多いけれど、この工房に集う職人達は腕が良く熟達も早いので侮れない。工房に新しくやって来た自分よりも若い少年に追い抜かれないようフィーも日々細工作りに精進している。
ちなみに今日は研磨された宝石でなく不揃いの安い天然石を使った簡単なネックレスを配ることにしていた。男女どちらも使えるようなシンプルなデザインのこれは、シライの職人並みの美味しさのお菓子と共に毎年人気があった。この日はこの道何十年の職人も一緒に初心に帰るように見習い達とそれを作る。勿論フィーも。
・・・騒ぎが大好きな師匠がいた頃は、彼女が幾つもあるかくし芸であるナイフ投げや手品を披露したりしてこれも人気があった。それがもう見れないのは寂しいな、とフィーは思う。
ドアを開けると、もう肌寒い季節なのに独特の熱気があった。人が集い、何かを生み出す空気に触れる。・・・この瞬間が、フィーは好きだ。眠気が吹き飛んでいく。
「おはよう」
フィーが声をかけると、手を止めて一人ひとり声を上げた。
「「おはようございます!」」
一番の若手のジン少年とミルカ少年。双子の彼らは本当にそっくりだ。さっぱり切った薄茶の髪と、明るい青の目が生き生きした印象を与える。
「お、今日は寝坊じゃないのかフィー。おはよう」
黒髪黒目、同い年くらいのガイは筋肉質な体をしている。建築の仕事を元はしていたようだが、師匠の作品に惚れて志す道を変えて今に至る。豪快な細工はどこか彼の憧れる師匠を思わせる。
「はよー」
年齢不詳、のんびり屋のシロン。真っ白な髪に童顔。かなり昔からいるってロイは言ってたよな、幾つなんだろうとフィーは顔を合わせるたびに思う。ロイ並みにオールマイティーな人だ。
「お早うございます」
寡黙なヒュルカおじさん。くすんだ金の髪に、落ち着いた緑の目。彼のデザイン画にはいつも惚れ惚れさせられる。花や動物をモチーフの精緻な絵が素晴らしい。彼に下絵の書き方は教わった。
「お前もはよ始めんか若造」
トマスお爺は厳しい顔立ちをしているけれどかなりお茶目な人だ。細工に携わった年数もその腕も、師匠が最も信頼を置いていた人。フィーもいまだに叱られることがある。熟練の名に相応しい彼をフィーはとても尊敬している。
休みの日に善意の集いであるから全員ではないけれど、結構揃っている。
既にそれぞれ石を手にとって細工を始めているようだ。
「あ、今日ロイはちょっと体調が悪いので休みだ。心配は一切不要だから、気にせずあいつはいないと思って作業してくれ」
・・・有無を言わせぬフィーの口調に何かを感じたか、詳しく尋ねてくるものはいなかった。
「「「「了解」」」」
「ん。じゃあ私はやっぱり青担当で」
「言うと思った。とってあるぞ、ほれ」
トマスお爺が青い天然石がいっぱいに入った箱を回してきた。ラピスラズリにソーダライト、ブルークォーツ、ターコイズ、ブルータイガーアイ・・・青の石が大好きなフィーは知らず目を細めた。
「流石!ありがとう」
さて私は安直に海の生物でも飾りに入れるとするかな、と決めると彼女も細工に取り掛かった。
夕方ごろになると工房の前にはちょっとした行列が出来ていた。とりあえず本分は果たして手が空いたフィーは、飾り付けをしながら菓子や細工に目を輝かす子どもたちに目を細めた。・・・たまに童心を忘れない青年や大人達も混じっていたようだが。
ふと。行列の半ば当たりにフードを目深に被ったローブ姿の人物がいるのにフィーは気がついた。
・・・仮装した人が殆どだから、気にはならないはずだ。他にもローブ姿の人物はいる。ただ、なんだか目に付く。背の高さの所為か?どこか隙のない様が気にかかるのか?
・・・違う。本日2度目の嫌な予感が、そんなことが問題なのではないと告げていた。
何のつもりかは知らない。よほど暇なのかもしれない。
・・・平民の子どもたちと楽しげに列に並んでいるあれは、英雄と名高い王様だ。
フィーの視線に気がついたか、彼は子どもにふざけて襲い掛かってきゃっきゃと言わせるのをやめて顔を上げた。真っ青な目が楽しげに笑んだのをフィーは見た。手をのんきに挙げてぶんぶんと振っている彼を見て、フィーはランタンを抱えてうずくまった。それから、ずんずんと王様に向かってフィーは歩き出していた。
気付けば王様の腕を引っつかんで、それに酷く驚いた様子に構わず列から離れた路地へと向かっていた。
「酷いな、また並びなおさなければならなくなったじゃないか、フィー」
フードを取った人は、一つに結った美しい黒髪をしたヴィーだった。やっぱり、とフィーは深く溜息をつく。
「・・・あんたは一体、何をしてるんだ」
仮にも王様が仮装までしてこんなところで子ども達と行列に並んでいるのだ。何か言いたくもなろう。
「いや、クェインが今日限定で凄くうまい菓子を出すところがあるというから無理に聞き出したらこの工房だって言うじゃないか」
「で?」
「ここの場所は知ってるわけだし、来ない手はないだろう?こうしてお前にも会えるし」
「仕事は」
「菓子を持ち帰るなら見逃してやるといわれた。あいつも甘党だからな。俺もだが」
「・・・なあ、王様。以前から思わないでもなかったがあんた何のために部下を連れてるんだ」
「雑務?」
「それこそこんな遣いは部下を使ってやれよ・・・」
「いや、俺の我侭につき合わせるのは日々激務に追われる連中に忍びないしな」
いや、お前の我侭が今現在も彼らの仕事を増やしてはいないだろうか。竜の血がこんな彼を見逃しているのが分からない。それに、と王様は頭を抱えるフィーに向かって笑った。
「お前に会うことは雑務じゃない。ひょっとしたら会えるかと思ったが、幸運だな。久々に顔を見れてよかった」
やけに嬉しそうな王様の言葉に、フィーは何も言えなくなった。なんと返したらよいのか、分からない。彼を憎んでいた以前なら、簡単に切り捨てるか受け流すかできたはずなのに。そんなフィーの戸惑いを読み取って、ヴィーは彼にしては柔らかく微笑んだ。
初めて見るその表情に、フィーはますます言葉につまった。おや、という顔をすると、彼は少し甘みを帯びた声で囁く。
「で、フィー?いつまでこの手を掴んでいてくれるのかな。それともこんなところまでそちらから連れ込んでくれたということは何をされてもいいという意思表示か?」
そうしてフィーの掌に口付けを落したヴィーは、かっとしたフィーに見事な回し蹴りをくらいそうになって慌てて身を引いた。
「せめて平手打ちとかにしたらどうなんだ」
「うるさい!触れるな、近寄るな」
「禁じられるとやってみたくなるのが人の心理って知っているか」
そんな面白い顰め面をするな、と言って頭をぐしゃぐしゃにかき回すヴィーの手をフィーは払った。
「・・・じゃあ逆を言ったらどうする」
「喜んで従う」
「・・・もう帰れ、この女好きが!」
怒鳴ろうと平然とした顔をしたヴィーにフィーはますます眉を寄せた。この皺が消えなかったらどうしてくれるんだ。
「まだ会ったばかりじゃないか。それに菓子を貰わないことにはクェインに殺されるからな・・・ああそうだ、菓子を寄越さんと悪戯するぞ、フィー」
そう来たか。持っていないことを見透かすようなヴィーにフィーは顔を顰める。
「無いだろう?」
言いながらすい、と寄って来たヴィーを、伸ばした手でフィーは止めた。
「王よ、何も持たぬあなたの民をその欲に従わぬからと甚振るほどに恥を知らぬと言うか」
そう言ってヴィーを見つめた。ロイとは全く質の異なった美しさだが、ロイと比肩できるほどに整った顔をフィーは他に知らない。仕方無さそうに彼は引いた。酔っ払いと違って言葉が通じてよかった、とフィーは胸をなでおろした。
「全く、相変わらず弁が立つ」
残念そうなヴィーを見て、フィーはごそごそとポケットを探った。
「・・・菓子は無いがこれをやる」
フィーは小さな丸いラピスラズリを目に見立てた、イルカが彫られたネックレスを取り出して突き出す。
「今日一番の出来だ。文句をつけたら承知しない」
「お前の手がけたものなら、出来など問わないが・・・これだけのものを今日はただでくれてやっているのか。お前の細工を手にしたものは相当喜ぶな」
「そうだと嬉しい。・・・気に入ったか」
「ああ、大切にするよ」
気障ったらしくやった細工に口付けたヴィーのどこか愛しげな表情に、気恥ずかしくなったフィーは言った。
「ではな、菓子のほうはもう一度並んでくれ」
去ろうとしたフィーの手をヴィーは思わず掴む。
「・・・待て。フィー、ここに引っ張り込んでくれたのはお前だが」
「知らん」
「礼にこれをやるから」
やれやれ、とヴィーが差し出したものにフィーは目を丸くした。
「パライバトルマリン・・・」
その明るい青緑の輝きを放つ宝石に対してなんとも無防備にきらきらと輝く彼女の目にヴィーは苦笑した。宝石好きと聞いてはいたが、これほどとは。手の中の石に嫉妬めいた気持ちを抱いたヴィーはひょい、とそれを彼女から隠す。フィーがは、と夢から覚めたような目でヴィーを睨んだ。
「睨むな。・・・菓子を持ってきてくれたらやる」
「・・・く。卑怯者・・・」
そういいつつもフィーは走って工房へと向かっていった。
「・・・お前の作った細工のほうが、こんな石ころより価値があるように思うがな」
ヴィーの骨ばった長い指がそっとフィーの細工を撫ぜた。
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