「ええ?なんで進むんですか!?」
「多分死にはしないと思うんだ。それにジャックの連れが本当にここに居ないかちゃんと確認するべきだ。大丈夫、怖くなんかない」
「痛、痛い、フィー!僕の手が死ぬから握り締めるのはやめて!」
悲鳴を上げるジャックを無視して引きずって、怖いもの見たさでフィーは進む。部屋は、思ったよりはるかに奥行きがあった。立ち並ぶ、見るもおぞましい拷問器具はいやに規則正しく並び、2人を部屋の奥にいざなうように道ができていた。壁には『誰か』の爪あとやなまなましい血痕が見えた気がしたが、全て気のせいだと信じ、半ば走るようにしてひたすらにフィー達は部屋の奥を目指した。
進めば進むほど、空気はどんどんと澱み、闇はますます深みを増すようだった。ジャックの頭以外、何も見えなくなってくる。
「どれだけ広いんだ、この部屋は」
フィーは呟いた。
ジャックの頭が後ろを振り返る。
「もう振り返っても扉が見えないですね…ちゃんと帰れるのかな。ん?フィーさんの手ってこっちですよね」
「こっちも何も繋いでいるのは片手だけだろう」
フィーの右手はジャックにつながれているが左手は空いている。
「確かに。ん?あれ?じゃあこっちって」
「知らん」
「ええ!?」
幾度かおかしなこともあった気がしたが、幸いにもフィーに被害は及ばなかった。
そうして2人でずっと歩き続けた。最早怖くはない。ただ、次第にただ歩き続ける自分の足だけの感覚を残し、時間も空間もない暗闇をまるで漂っているかのような不思議な感覚にフィーは襲われた。どこまでも終わらない闇の中を、ジャックという唯一の灯火を頼りにただひたすらに突き進むふわふわとした心地がする。
「なんだか、いつもみたいになってきたなあ」
「え?」
「ああ、なんでもないんです。しかしここって、まるで誰かの夢みたいだ。ずっと、意識の奥深くの、ほの暗い夢」
ひとり言を言った後、ジャックは何かを考え込んでいる。その通りに私の夢だと答えるべきか迷いながら、ふと気になったことをフィーは訊ねた。
「ジャックの連れの名前は?」
「…それは、」
ジャックが答えようとしたとき、唐突に目の前が真っ白な光で満たされる。まるで、洞窟の出口にたどり着いたかのように。
「これは、出口、か?なあ、ジャック」
眩しくて、フィーは思わず目を瞑りそうになりつつジャックの方を向く。そして目を見開いた。
「え?」
ジャックの体が、光に巻き込まれるように下から消え始めた。消えつつあるジャックは、おやおや、などと言っている。
「そうか、夢の出口だ。なるほど、迷子はフィー、貴女だったんですね」
「ジャック…?どうしたんだ、おい!?」
「大丈夫。帰るだけです。僕を創ったものの仕業だったみたいですね。なるほど、ウィルになんか吹き込んだのも彼か」
やけにジャックは落ち着き払っている。そして。
「結構、楽しかったですよ。さよなら、フィー」
それだけ告げてフィーを照らした明かりは消えた。
「起きろ」
声がした。目を開けると曙光に金色の髪を透かして立つ魔物がいる。ここは、そう、森の中だ。確か昨日は野宿していて…見回すとヴィーとロイは木に凭れてまだ眠っている。
「起きたか。夢魔なんぞに捕らえられおって。この馬鹿主」
「あ、れ。なんでここにラエルが」
「知るか。手間をかけさせて。まったく、ああ腹立たしい。我の主と知って手を出す輩が居るとは」
低い声で話す猫の姿をとらない金の髪をした魔はやけに不機嫌だった。同色の瞳が燃えているような錯覚を覚えるほど、気が立っている様子だ。ふとその滑らかな褐色の肌色をした大きな手に、かぼちゃがあるのを見てフィーは彼に飛びついた。かぼちゃは夢の中に現れたジャックの被り物と同じ目鼻立ちをしていた。
「そうだ、ジャック。ジャックは!?夢の中で、ずっと一緒で、かぼちゃ頭の子どもで、連れを探して、でも消えて、どっか行っちゃって」
「主、落ち着け。…名乗ったのかあいつは。浮かれていたな」
「え?」
「いや」
ラエルは首を振った。しがみつくまだどこか寝ぼけた様子のフィーを見て、彼はつい、と顔を背けた。
「南瓜は、話したりしない。灯火はただ照らすのが役目。お前が見たのは全て夢、忘れるがいいだろう」
「私は」
ラエルの言葉を理解しているのかいないのか、フィーは顔を顰めて何か言おうとしたので、立ち去ろうとしていた魔は歩みを止めた。
「うん?」
ラエルが促すと彼女は話し始める。
「夢の中で心細くて…ジャックが居なければ、ずっと一人ぼっちだった。だから、嬉しかった。ジャックの人探しをしていて助かってたのはわたしの方だったんだ。しかもジャックの連れは見つからないままだし。だからせめて、お礼をいいたかったんだ、ありがとう、って。なのに消えてしまった」
ラエルは目を細めた。
「届いているだろうよ。主が心から感謝を思ったのなら」
「そうか」
「そうだ。…だから、まだ眠っていればいい」
「ああ。…ラエル、は」
崩れ落ちそうなフィーを支え、静かに横たえると魔は呟くように答えた。
「無論、帰る。…が、灯火を哀れな男に返し、主を喰らおうとした魔に相応の礼をしてからだ」
健やかな寝息を立てるフィーをどこか満足げに眺め、金色をした男は去っていった。
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