シンデレラ風パロディ
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13.
「あの」
「なんでしょう?」
「怒ってらっしゃる?先ほどから」
「いいえ?」
ロイ王子の花咲くような笑顔を受けて、それなのになぜだか恐ろしくてシンデレラはたじろぎながらも言いました。手が痛いくらい強く握られているけれど、怒っているというわけではないと彼は言いました。ならば。
「…もうお手をお放しくださいませんか。私になど構う暇はないでしょうし、これではあなたも休憩にならないのでは」
「あの母の傍にいないというだけで随分と気が休まりますから。それとも僕とこうしてお手をお繋ぎになるのは耐え難いことでしょうか?」
「そういうわけでは…」
そういうわけではないけれど周りの視線が痛くてしょうがない。
という言葉をシンデレラは飲み込みました。
宴の部屋に入れば放すと思っていたのにそうでなかった、長いことつなぎっ放しの手を見てシンデレラは溜息を漏らします。彼が手を繋いで室内を歩き回りながら話してくれたこの部屋ひいては城全体の歴史や、造り、豪華なインテリアについてのお話はたいそう興味深かったのですが、その間人目を引くこと引くこと。
フィーは既に辟易しておりました。
何やらここの王族は誰かを連れまわす時には人の手を掴んで放さないという迷惑な習慣でもあるようです。
宴。
色とりどりに並んだ食事に動き回り笑いさざめく美しい人々。
なるほど、飲めや踊れやの市井の宴としていることは同じでしたが、そこには言い知れぬ華やかな気品がありました。なにせあの女王様が落とさなかった機知ある美しい乙女が主たるその場の客人でしたから。しかしその仕草一つ一つからして雅でお上品な方々は、その中にいてすら際立って優美な第二王子があろうことか他を差し置いて手を繋いでいる少女をさりげなく睨みつけているようでした。
仕方ないことでしょう。なにせシンデレラの隣にいる相手は傾国の美貌、しかも宴の主役たる1人。男女問わぬその視線とひそひそこちらを窺いながら交わされる会話に、もともと目立つのが嫌いなシンデレラは最早乾いた笑いしか出ませんでした。普段することのない女の装いをしていることもあいまって、見世物小屋に放り込まれた道化を演じている気分です。ぼろが出ないよう取り繕って動くのだけでも既に随分疲れておりました。
ちなみに部屋には幸か不幸か鏡もありませんでしたので、自分がロイ王子と釣り合うとまでは行かずとも一応は貴人と見られていることを彼女は知りません。実際には彼女に見蕩れる人々もいたようなのですが、ロイ王子はともかく、もとより彼らに興味は殆どないシンデレラが気付くことはありませんでした。
彼女の脳裏に浮かぶのは唯一つ、『もう帰りたい』。
こんなことを考えていると怒られそうですが、次々失格を出されて泣き帰っていった誰かと代わってあげたいくらいでした。
「“フィオナ”嬢?」
「はい?」
何か含みのある物言いに、びくりとしつつもシンデレラは猫を被ったまま微笑みつつ返事をしました。
不運にも、シンデレラとヴィエロア王子といいロイ王子といい面識があるのです。ばれたらどうしてくれるんだ、と彼女はここにいない師を恨みました。彼女にこんな格好をさせたあの張本人は「楽しめ」などと暢気なことを言っていましたが、シンデレラが『女』であることがばれたら破門の条件について融通するとは一言も言いませんでした。これをきっかけに破門してやろうというつもりなのではと考えてふと顔を青くするシンデレラ。その表情の移り変わりを逐一眺めてしばし黙していたロイ王子は苦笑しました。
「あんまり思うまま連れ回してしまいました。お疲れのようですね?」
「ええ…いえ、ロイナス殿下」
「・・・そういえば人ごみが苦手だったね」
ぽつりと呟かれた言葉が聞き取れずに首を傾げた彼女に、ロイ王子は微笑みかけました。
「私も長く室内にいて息が詰まりそうです。少し、お付き合い願えますか」
申し訳なくもありがたい申し出に頷くと、シンデレラの手を引いて、一見他と変わりない窓の一つにロイ王子は向かいました。そこで彼はどこからか青い鍵を取り出すと窓を開けます。
その向こうには、思いがけず屋根のついたこじんまりとした空間が開けていました。
「ここは・・・?」
「いいところでしょう。貸切です」
そのテラスのアーチ型の天井を支える真っ直ぐに伸びた純白の石の柱の側面には四季の精霊の物語が美しく精緻に彫られ、さらにはそこから花盛りの庭を眺められる上に柔らかな月の光で辺りは満ち溢れており、2人占めにするにはもったいないほどの様子でした。しかし、残念ながらシンデレラは周りを見渡すような余裕もあまりありませんでしたので引き連れられるままに、気付けば備え付けられた椅子に向かい合って座っていた目の前の佳人をどこかぼんやり見つめておりました。
しなやかに伸びた手足を備えた均整の取れた体躯。
随分ロイは大きくなったんだな、とシンデレラはしんみりとしてしまいます。小さい頃は彼女とそう変わらなかった背は彼女を遥か追い越すほど高く、柔らかな印象のあった頬はすっきりとした線を描き、確かに綺麗だけれどもうあの頃のようにふざけて姫さまとは呼べないなあとシンデレラは残念に思いました。ただ、そこらの姫ではとても敵わないような白く透き通る肌とシンデレラが昔から愛した水色の瞳だけが相変わらずです。その目が、少しはにかむように細められたのでシンデレラははっとしました。
「…そんなに見つめられると少し照れます」
「ロイナス殿下、すいません。不躾なことを」
彼女が頭を下げようとすると、彼の長い指が制止をかけました。
「謝らないで。構わないんです。なんならいつまでも、好きなだけ見つめてくださっても。そのかわり」
そう言うとロイ王子は少し意地悪そうに笑んで続けました。
「僕も遠慮なくその間あなたを見つめることを許してくださるなら」
その言葉を受けたシンデレラは、というとまさしく石のようにぴたりと完全に動きを止めてしまいました。
それを見て、堪えられないように笑い出した王子は、やがて彼女が睨みつけているのに気付いたのか笑いを収めました。
「…すみません」
「ご冗談が過ぎます」
シンデレラは少し憤慨していました。
「いえ、冗談のつもりではなかったのですけれど、貴女があんまり驚くから可笑しくて。気障に過ぎましたか?」
「…私の顔は見ても大して面白いものでもないと思ったので不思議なことを仰るものだと思ってびっくりしただけです」
「そんなことはないですよ。叶うならずっと見続けていたいくらいです」
…そんなに面白い顔だろうか、とシンデレラは眉を寄せました。彼女のそんな煩悶を分かっているのかいないのか、ロイ王子はにこやかに微笑みました。
「どうか、楽になさってください。ここには他の者は入れませんから。…申し訳ありません、先ほどはつい浮かれて私に貴女をつき合わせたことで衆目にさらせてしまいましたね」
「…あなたが悪いわけでは」
無い、とも言い切れず。相手がロイ王子でなければ、ああも注目を受けることはなかったでしょう。けれどフィーは首を振りました。この美人に目立つなというのは、存在するなと同意義になると気づいたからです。それに。
「貴方さまは随分と建築に造詣が深くていらっしゃる。おかげさまで、楽しい時間を過ごせました。
…それにしても、殿下の美しい容姿はただそこにあるだけで人の心を惹きつける羨ましいものですけれど、望まずして絶えず衆目を集めてしまうことを考えれば気の休まらないものなのかもしれませんね。私には幸いと申し上げたものか、全く縁のない話ですけれど」
そんなシンデレラの言葉に、ロイ王子は何かを思い出すように一瞬遠い眼をして、くすりと笑うと言いました。
「・・・ねえ、貴女をフィーとお呼びしてもいいですか?」
その言葉に、シンデレラはびくりとしました。
女王の御前を辞した時から、シンデレラを知るロイ王子に、いつこの正体について指摘を受けるかと怯えていましたが、どういうわけか今のところ彼は慇懃な態度を崩しもしなければ何ひとつ問い詰めようとしませんでした。フィー、と彼女を呼ぼうというのは果たしてシンデレラのことがばれてしまったということなのか、安易に昔の名を名乗ったために判断がつきません。いっそなれなれしいことを仰らないで、と偉そうに断るか、逆にシンデレラではありえないほどに喜んで見せるか。
彼女がどう答えたものか迷っていると、ロイ王子はなんとも悲しげな顔をしました。
…シンデレラが、昔からして欲しくない顔です。どこか泣き出しそうに潤んだ空色の瞳を見るとその口から発せられるわがままが何であれ聞き入れてやりたいという気持ちになってしまうから。
「お嫌ですか?」
見詰め合うこと数十秒。
「…どうぞお好きに」
結局屈服してしまい、シンデレラがやけ気味に言い放つと、それをどうとったものかロイ王子は穏やかに笑いました。
「では…フィー?」
ただの名前のはずなのに、やけに甘い響き。
彼女にとっては懐かしい、けれど記憶よりも低い分色気のある声にシンデレラは少々慄きました。フィー、と人に呼ばれるのは長いことなかった分、なんとなく慣れない変な気恥ずかしさもあります。落ち着かなげなシンデレラの様子に、ロイ王子はくすくすと笑いました。
「私のことは、どうぞロイとお呼びください。フィー、貴女のことをお聞きしてもいいですか?」
「わたくしの事ですか」
自身を偽った状態でシンデレラが話せることと言えば作り話ばかりなのでしたが、仮にも大切な幼馴染に対して嘘をつらつらつくのは気が引けて、シンデレラは黙り込んでしまいました。どう答えたものでしょう。そう思っていると、ロイ王子がさらに言葉を続けました。
「そうだな、手始めにその百合をフィーにさした人との関係について」
「・・・王妃も先ほどこの百合の持ち主は彼女の息子方であるようなことを仰っていましたが、これを下さったのは金の髪のお人。王族の方ではないと思いますが?」
「いえ、間違いなく私たちの兄弟の誰かです。勿論私ではないしナンテスではあり得ない。
この花の贈り主は金の髪だと仰いましたね。ナンテスには変装をして后選びにやって来た女性を眺めて廻る酔狂さは無いから。逆に、あの兄がいかな姿をして何をしていようと驚きませんよ。
我々兄弟の誰か、と申し上げたのは・・・ここから見えるでしょう」
ロイ王子が指差す先に、月明かりに照らされた、四方を壁に囲まれた白百合の群生がありました。シンデレラはそのあまりの美しさに思わず息を呑みます。
「あ、れは」
その百合の、遠めにも知れる大きさとその見事さはヴィー殿下がシンデレラに飾ったものと瓜二つです。
「そう、貴女の白百合はここにしか咲かない大きさの特別な…后の白百合。あの場に入ることができる人間は限られます。だから母も我々の兄弟の誰かがあなたに花を送ったのだと気付いた」
その言葉に、あの時分からなかった王妃の言葉の意味を解してフィーは1人頷きました。
「分かりました。それではあの方はヴィエロア殿下なのですね?・・・恐れ多いこと。
それにしても、わたくしのような者に大切なお花を差してしまわれるなんて、本当に随分と酔狂なお方なようです」
あえて彼を知らぬ“フィオナ”として振舞うシンデレラの耳元の花に、つとロイ王子の指が伸びてそっと撫でました。
「相手が兄上であったことを知って、さほど驚かないんですね?」
その言葉に軽く眉を上げながら、
「・・・表情が変わりにくいだけです。それに、今宵は王子様に見初められようとここに参りましたから」
誤魔化せただろうかと冷や汗をかくシンデレラに、ロイ王子は一つ頷くといいました。
「そう?では、相手が私でも構いませんよね?」
「ええ…え!?」
とりあえずはその通りなので肯定したシンデレラでしたが、彼の言葉の意味に気付くとぎょっとしてロイ王子を思わず見つめてしまいました。ロイ王子は平然と見返します。
「そうですよね。…ところでその白百合もよくお似合いですけれど、あなたはこのように飾る花でなくマグノリアやミモザのような木に咲く花がお好きなのでは?」
「はい!大好き…
ですがそれがなにか。白百合も美しいと思いますよ?」
「いいえ、なんとなくそう思っただけで他意などありませんよ?フィー、この花を差した人は、あなたの想い人ですか?」
「まさか」
そのあまりにはっきりとした素早い答えに、ロイ王子はふ、と笑いました。
「なるほど、告白を受けたわけではない、と。ならば花に罪はありませんが、この大きな花はあなたの表情を少し隠してしまうから」
す、と花を抜くと、彼は持っていた器の細長い杯に花を放り込み、そのままそれをテラスの手すりの上へとことりと置いてしまいま:した。
「何を、なさるんですか」
「軽くなったでしょう?ああ、貴女がよく見える。確かに貴女は」
そっとロイ王子の長い指に顎を掴まれ、上向かされたシンデレラは冴え冴えとした水色の瞳が緩むのを間近で見ることになり、それに捉われたと思った瞬間、
「ロイ?」
響き渡った明朗な声に、シンデレラは半ば酔っていたような意識を突然醒まされました。
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