シンデレラ風パロディ
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すっかり日が暮れた町の人ごみをするりと抜けて、昼間から花街へしけこんでいた男は彼の『家』へ向かいました。
男の髪はやがて太陽が消えて訪れた宵の暗闇に溶け込むようにぬばたまのぬらりとした黒、けれどその涼しげな目元に収まった瞳は見る者を思わず引き込まずには居られない轟く夏の海のような蒼く光る輝きを放っていました。
城門のほうから警備を掻い潜るよりも、深い森と断崖絶壁に囲まれた『家』の裏手の難所を通ることを好んでいる男は今夜もそのようにしてあっさり『家』へと帰り着きました。丈夫な石の高い高い壁を見上げて、彼はよく物思いに耽ります。ここは牢獄に似ている、と。
もうお分かりでしょう、男の名前はヴィエロア。この国の第一王子その人です。
先日彼のふざけた父親がした発言に、怒るどころか彼はむしろ喜びました。かなり小さきに過ぎる可能性であれ、彼以外の王子たちにも王位を継ぐ可能性が出てきたことを。…ある落胆は隠せませんでしたが。
無責任だとは自分でも思いましたがどうにも彼自身王位に拘りを持てないのです。しかし一方で王になるための最たる教育を受けた者として、彼の弟たちのように拒絶反応を起こすに至るまで拒む気も起きませんでした。
強いて言えば、彼はやる気を起こさなかったのです。王になることにも、それを拒絶することにも。国民の血税を浪費しながら何事かと怒りの声が飛んできそうですが彼は回されて来る仕事だけは好きに生きる片手間にこなしていたのでその能力に文句をつける人間はいませんでした。つけられなかった、と言うべきかもしれません。けれど能力如何はともかく酒色に耽るその性質を問題視する人々も少なからず存在しました。よって第一王子が王位を継ぐだろうという力関係でうまみが少ないものは、ヴィーの悪癖を強調して非難しつつ彼の弟たちを擁立しようと画策しているらしいのですが…
「まあ、無意味だろうがな」
弟たちは王位などかけらも望んでいないのですから。もっとも彼らの兄たるヴィー王子自身の振る舞いを懸念、というか心配している向きはありました。ヴィー王子がそのために足元が崩されそうであってもその行いを改めないためにいつか倒れるのではないかと心配してくれました。それで父の問題発言以降「王になりたい」などとまさしく戯言を吐いて彼らに群がる貴族たちを陥落して彼の弟たちは遊んでいたことを彼は良く知っていました。清廉潔白とは程遠い権謀術数家の3兄弟の一人として互いを理解しているのです。そろそろ彼ら兄弟の真意すら見極められない愚かで哀れな人々は泣きを見ることになるはずです。
…そうまでして弟たちが後押ししてくれることにむしろ自分が泣けそうだとヴィーは苦笑しました。彼の父王がこのようなことをしでかすのはそろそろ本気で王位を彼の息子に継ぐ気でいると知っていたからです。そのため、逃げ道がなくなってきたことへの失意はありました。今日もどこか逃げるように昼から花街へ向かったのもそのためです。ここに来るまでで随分風に流れたものの、白粉と甘ったるい香水の匂いが微かに自分の体から立ち上るのに自業自得であるものの香水の香りが苦手なヴィー王子は顔を少々顰めつつ、城の裏手へと足を踏み入れました。
蔓薔薇に覆われたどこか艶めかしい雰囲気のある中庭をいくつか挟みつつ、執拗に同じ銅像と絵の配置を繰り返しながら似たような景色が延々と続く場所をヴィーはいつも通ります。『迷いの離れ』と噂のそこは、造りが迷宮めいていてヴィーのように子供の頃から探検してきたものならいざ知らず時に新しくやって来た侍従や客人が迷子になってしまうこともあります。ヴィーは知りませんが、この行方不明者多発地域では、王族以外の人間は同じところをぐるぐる回る不思議な呪いにかけられてしまうと言う噂もあるほどです。
「ん?」
いつものように通り抜けようとした中庭で、ふと感じた気配に目を細めて辺りを見回したヴィーは丸まった芋虫のような物体にぎょっとさせられました。よく見ると、随分と細身の人間が真っ白なシーツに身をくるませてなんとも無防備に眠っているのでした。
どうやら、『迷いの離れ』の被害者のようです。近づくと短い薄茶色の髪は月の光を受けて金色のように輝いています。それに隠された顔をなんとなく覗いてみたくなってヴィーは遠慮なくその髪を払いました。
現れた顔は、どこかあどけない少年のようで、そのために薄く青い隈と少しやつれた様子が痛ましげでした。美人など見慣れたヴィーにとっては取り立てて美しいと思うわけではないのに、どこか凛とした気品が感じられなくもない、表情豊かそうな顔つきに彼は興味を抱いてすい、とその頬に指を滑らしました。果たしてこの人間がどんな瞳の色をしているのか気になったのです。その彼の望みは意外とすぐに叶いましたが、思わぬ寝言付でした。
「ロイナス、まだ眠いよ…」
「ロイナス?俺の弟か?」
鳶色のくりくりとした目を見つめながら、彼が面白そうに眉を上げて問いかけるとようやく目が覚めたようにぱちくりと彼の相手は瞬きました。次瞬慌てたように立ち上がります。
「暗い?まさか夜!?あああああ、女官長にどやされる。侍従長に殺される。減給決定だ…いや、ここ辞めるからもういいのか?そうだ、もうこんな城のことなんか知ったこっちゃないんだった。そういえば久しぶりによく眠れた気がするな…。うん、後は空腹さえ満たせば完璧じゃないか!あ、でもここはどこだ?」
予想に違わずころころ表情が変わる、男性にしか許されない侍従の格好をした『少女』を見つめ、第一王子はにんまりと笑いました。これが、澄ました顔ばかりしているロイの恋人だったりしたら傑作です。彼女はようやく自分の間近にいる不穏な気配を放つ美丈夫に目を向けました。
「あんた誰?」
「ヴィーでいい。お前の名は?」
「シンデレラ」
「ふうん?灰被りって名前なのか」
「悪いか?」
平然と返す少女は男の正体にも自分の名前の悲惨さにも頓着した様子はないのです。その無頓着さにヴィー王子はくつくつ笑みを漏らしました。
「失礼な」
「いや、名を笑ったんじゃない。君が可笑しい」
「なおさら失礼な」
「すまん」
「訂正しろよ…まあいいや、無礼の侘びにここから連れ出してくれてさらに何か食べ物を恵んでくれたなら帳消しにしてやろう」
やけに偉そうに少女は無い胸を張りました。それがなおさら可笑しくてヴィーは笑いながらも、
「承知した」
そう答えて少女の手を無断で掴んで引っ張って歩き出しました。
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