シンデレラ風パロディ
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フィーという少女に第2王子のロイナスが出会ったのは彼の少年時代に遡ります。
よく晴れた日のことでした。
彼の母による女装をいつものように施された少年は、とうとう耐え切れなくなってその繊細な優美さに似合わぬ根気と運動能力によって城を抜け出しました。家出です。
城は大騒ぎにはなったものの、世間知らずの温室育ちの少年のことですからすぐに捕まるだろうと楽観視する向きもありました。しかし、そんなことはありませんでした。結局、少年は母親が反省するまで帰ることはなかったのです。
世で言うほどに王子というのが何も知らないわけではありません。第2王子たる少年はまず当分着るものがなくても困らない暖かな季節を選んで城を出ると、王家とはまったく関わりのない、それでいて治安のいい界隈にある孤児院を目指しました。そこで奴隷商から逃げてきた少女を演じる心積もりで。
それでもやはり彼が子供であるには違いなく、初めてやって来た街に浮かれるうちに裏通りへ足を踏み込んだために彼のその心積もりはほとんど事実になってしまうのですが。
フィーに出会ったのは、彼がその美貌ゆえに見るからにたちの悪そうな悪漢二人に絡まれている最中でした。
「なあ可愛らしいお嬢ちゃん。一人でどこに行くのかなあ」
「なんならお兄さんたちがいいところに案内してあげようか」
気持ちの悪いにやにやとした笑いを冷たく見返しながら、ロイ王子はこんな通りまで来てしまった自分の愚かさを呪いつつ、一言も返さず踵を返そうとしました。しかし狭い道を巨漢の二人に塞がれてしまいます。挟まれたロイ王子は苦い顔をして、相手をねめつけました。
「私のことはお気になさらずどうぞ放っておいてください」
「つれないねえ。一緒に来れば楽しいよ?」
「連れとはぐれちゃって本当は心細いんだろう」
「それとも家出かな」
「なら寝る場所を提供してあげるよ」
男の手がロイ王子の手を掴もうとする瞬間、反射的に嫌悪感を抱いた彼はそれをぱしりと払いのけます。
「触るな、下種」
うっかりはずし忘れていた彼の指輪が、思わず相手の手を深く裂いて、ぱっと血が飛びました。
「痛え!!?このやろう、優しく言ってりゃあ調子に乗りやがって!!」
「生意気なガキめ、さっきのうちに話に乗ってればよかったと後悔させてやる!」
一転して激昂した巨漢2人が飛び掛ってくるのを見て、慌てて2人の間を抜けて走り出しながらも追いつかれるのは時間の問題とロイ王子には分かりました。そこで一瞬護身用の短剣に手を伸ばそうとした少年は躊躇しました。相手の息の根を一息に止める護身術は習っていても、まだ人を殺すほどの心構えが彼にはなかったのです。
「逃げるだけ無駄だ、このくそガキ!!」
すぐ後ろから声が聞こえ、ロイ王子が観念しかけたその時、目の前に大きな樽を抱えた薄汚い姿の子どもが現れました。
「そこの君、危ない…!」
すぐ目の前にやって来た彼にその子どもは一瞬目を丸くしたものの、彼に笑いかけると言いました。
「ちょっとどいて」
その言葉にロイが少し身をよけると、少女は抱えた樽の中身を悪漢たちの足元めがけてぶちまけました。
「うあ!!あ、油だと!?」
「な!」
突然ぬめった足元に、周囲の木箱やらを巻き込んで、すさまじい音を立てながら見事すっ転んだ2つの巨体。
それを見やった子どもは、偶然すぐ傍に座り込んでいて事態に唖然とした様子の老人からその手にあった酒瓶をひょいと奪うと、まだ転んだままの二人の男それぞれにすかさず重い一撃を食らわせて昏倒させてしまいました。
「あ、あの?」
ロイ王子が恐る恐る声をかけると、子どもはぽんと酒瓶を放り投げて、じい、と彼を見つめました。不躾にまっすぐ見つめる目にすこし怯みながらもその目を見返しつつ、
「ありがとう、助けてくれて」
とロイ王子がお礼を言うと、その薄汚い格好の中で子どもの瞳だけが宝石のようにきらきらと輝きました。太陽の光を浴びて。
ちょうど、薄暗いその通りにも陽の差す時刻になったのです。ほわり暖かな色彩が、ごちゃごちゃした狭い通りに広がりました。
「どういたしまして。ねえ、きれいなおめめだね、空みたい。私、フィーっていうんだよ、あなたは?」
自分を見つめる相手の目のほうが見慣れた自分の目よりも余程綺麗だ、と思いながら、ロイは答えました。
「ロイナス」
「そっか、ロイナスはまいご?このあたりはあぶないから気をつけないと」
「迷子、だけど」
「じゃあここからだしてあげる」
それからその小さな汚れて傷のある手に掴まれて、不思議と先ほどの男のように嫌悪感は感じず振り払うこともできないままに、彼はフィーと名乗った子どもによって思いがけず目指していた孤児院へと足を運ぶこととなったのです。
ロイ王子は孤児院で整った顔立ちや仕草について問われたなら、自分は異国で政変に巻き込まれ孤児になった貴族の娘であるのだと説明し、傷があるので体を見られたくないと言って素肌を晒さないよう気をつけました。幼さと舞台女優張りの演技力によって周囲を見事騙した少年は、ある日自分から城に帰るまで孤児院で働きながら少女として振舞い暮らしたのです。
行方不明の王子についての話題が上っても、ロイ王子のごまかしとすっかりロイ王子を女の子と信じて疑わなかった単純で気のいい孤児院の人々のために、とくに問題が起こることもなく平穏な日々でした。
そんななかで、フィーは孤児院の中でもロイ王子と歳が近いこともあり、彼の一番の友達となりました。出会いからしてフィーは彼にとってのヒーローだったのです。好奇心旺盛でお節介なフィーが巻き込まれるさまざまな出来事に彼まで巻き込まれて大変な目に遭いながらも楽しんでいるうちに、日々はあっという間に過ぎ去っていきました。
城に帰っても、その王子として過ごすよりはるかに取り繕わなくて済んだ自由な日々は彼の中で宝物でした。
彼の過ごした孤児院が全焼したと聞くまでは。
「孤児院が、焼けたって聞いて…君のこと探したんだよ、随分」
フィーだけが、なぜかあの後消息が分からなかったのです。逃げそびれた何人かの身元不明の死体の中に、もしかしたらフィーの遺体が入っているのではないかという可能性を見ないようにしながら、長い年月のうちにひょっとしたらと思うこともありました。けれど、今ロイ王子の目の前にいるのは、間違いなくフィーです。
ロイ王子の言葉にフィー、もとい今はシンデレラ、は孤児院のことを思い出したのか、沈痛な表情を浮かべましたが、ロイ王子の気遣わしげな目にぶつかって小さく微笑みました。
「そっか。心配させたんだ…ですね」
ナンテス王子に睨まれてシンデレラは言葉尻を改めました。その様子にロイ王子が笑います。
「口調は改めなくていいから。ナンテス、この人は僕の恩人なんだよ」
「…本当に?」
ナンテスは納得いかない様子ですが、ロイ王子は力強く頷きました。
「本当。ああフィー、君とまた会えて、君が生きていて本当によかった」
「こっちもロイと会えて、嬉しいよ。ちなみにシンデレラって今は名乗ってるんだけど」
「…シンデレラ?そういえば君はなんで侍従の格好をしてこんなところに?孤児院から出て、どう暮らしていたの?」
重ねられる質問に、シンデレラは顔を顰めました。全体的にあまり詳しく答えたい問いではありません。とりあえず言葉を濁すことにしました。
「まあ、色々な。ここにこうしているのは自分でもなぜなんだか最近分からなくなってきたところだ」
「聞きたいな」
「…あんたの耳を汚すようなことは話せないよ。“ロイナス王子”」
シンデレラはさりげなく彼我の間に一線を敷くと、
「そこの男に用があってきたんだろう?侍従を辞められないとなると働かなきゃいけないから、私は行くよ」
「待っ…」
「失礼」
有無を言わさず、部屋の外へとさっさと出たシンデレラは溜息をつきました。
「…ロイナス、ってそういえば男性名だ…」
…部屋を出て来た威勢はどこへやら、ふらふらと道行くシンデレラにとっては、どうやらロイナスが王子であったことよりも美しい少女が実は男性であったことが衝撃的だったようです。
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